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TIMELESSPERSON

2026.10.10

14歳から銀行勤務、生涯独身、生活を書いた詩人・石垣りんが教えてくれる、葛藤の価値

本を片手に予測不可能な時代をサバイブ! 都内で会社員として働くかたわら、ライター・コラムニストとして活動する梅津奏さんのエッセイ。【連載「コンサバ会社員、本を片手に越境する」】

薄い絶望に襲われたときに開く本

ここしばらく持ち歩いている本がある。

『ユーモアの鎖国』(石垣りん/ちくま文庫)

リュックの中で擦れて、端っこがすり減ってきてしまった。すでに通しで2回読んで、それでも手放せず、時おりパラパラとめくる。タイトルがいい、装丁がいい。そしてページを開くと、ピカリと硬質な光をまとう言葉たちが並んでいる。

エラクならなければならないのは、ずいぶん面倒でつまらないことだ、と思ったのです。愚か、といえば、これほど単純で愚かなことはありません。――『ユーモアの鎖国』より

4人の母を次々に迎えた家庭に育ち、14歳から丸の内の銀行で働きながら詩作を続けた石垣りん。生涯独身で、こつこつ働いた給料で家族を支え、「生活を詩に書いた」と呼ばれた人だ。

女性が出世することなどありえなかった時代の銀行に、定年までまじめに勤めた。小学生から詩を書きはじめ、家計を支える責任も負っていた彼女が、現実を直視して選んだ職場がそこだった。

『ユーモアの鎖国』は、石垣りんが少女時代から人生を振り返るエッセイ集。生まれ育った家庭のこと、戦争のこと、銀行勤めのこと、詩を書くということ……。大仰さのかけらもない端的で平易な言葉で、思索と怒りと諦念と希望が淡々と積み上げられていく。今の私が抱える鬱屈や葛藤と、時を越えてつながる言葉がここにあった。

自分は今、働く女性がさまざまな選択肢を持てる時代を生きている。

出世すること。
結婚し、子を産み育てること。
それを両立させようとすること。

テーブルに並べられたメニューを前に、手を叩いて喜んでいた時期も確かにあった。社会制度は人々の闘争と犠牲によってつくり出されたものだ。一方で、ニンゲンそのものの意識や性質というものは、想像以上に変化がゆっくりである。あの頃の私は、そのことを分かっていなかったのだと思う。

選択肢が増えたからといって、選んだ先で待ち受ける葛藤までなくなるわけではない。むしろ、何かを選び取るたびに、別の何かを諦めたり、両立できないものの間で揺れたりする。そんな現実に直面するようになった今、石垣りんの言葉がいっそう身に沁みる。

石垣りんが選び取ったのは、自分の言葉で生きていく道。それはつまり、心を守って自由に生きていく道だったのだろう。しかし、その自由だって、会社勤めと生活という負荷に侵食されることがままあった。日々働く職場で受ける不合理な扱いに、心乱されることだってあった。

彼女はそれを「情的借財の累積」と呼び、「会社ならとっくに倒産」しているだろうと灰色のユーモアを滲ませる。たぐいまれな才能をもった人ですら、割り切って選んだはずの人生で、世俗の理不尽に心乱されることがあるのか……。

ある日ふと、なるほどケイエイが大事なんだな、と目をあげ、私は石垣りんではやって行けないんだ、石垣りん株式会社にして心の機微を整備し、手紙も拝啓ますますご清栄、とやらなければ現社会に対応できないのだ、と気がつきました。それにしても、こんなちいさなひとりまで、人が人でなくなってはじめて成り立つゆとりのない暮らしかたとは何だろう、と。――『ユーモアの鎖国』より

どんなに考えても、なんとかしようともがいても、割り切れなさや生きにくさがなくなることはないのだと思う。そうだとすると、今の私の葛藤に、いったいどれほどの意味があるのだろう。変えることのできない現実に取り囲まれて、無駄に消耗しているだけ。武骨で不器用な言動で、周囲を戸惑わせているだけなのかもしれない。

そんな薄い絶望に襲われたとき、この本をぱらりと開いてみる。

葛藤を描く、研ぎ澄まされた言葉が、表現というものの価値を教えてくれる。石垣りんのように、生活の中で感じた理不尽や割り切れなさを、自分の言葉で掬い上げること。そこまで昇華できれば、日々の葛藤も、ただ消耗して終わるだけではないのかもしれない。

働き、暮らし、書く。そんな私の日々が、いつか誰かの言葉につながっていくのではないか。石垣りんの文章を読んでいると、そんな小さな希望が湧いてくる。

この記事は幻冬舎plusからの転載です。
連載:コンサバ会社員、本を片手に越境する
梅津奏

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