本当は興味津々なのに、決して踏み出せない――芸人 紺野ぶるまさんの自分観察。【連載「奥歯に女が詰まってる」】
大会がなくなった女

女芸人の頂点を決めるお笑いの大会が終わるらしい。というか終わったのだ。この連載が始まった2018年頃に大会が作られて、何度か意気込みと結果について書かせてもらっていた。大会に終止符が打たれるとするならば優勝するか、私が諦めるときだと思っていたがこのような形になった。
ここ2年においては準優勝が続いていたし、優勝したかった、という思いはもちろんあるが、落ち込むという行為はどうもしっくりこない。
何せこの大会に出て私はいろんな人に応援してもらった、ゼロだった仕事も少なからず増えた、予選の楽屋で毎回会うへそを出したインフルエンサーの愚痴も公共の電波でたくさん言わせてもらった。旨味はかなり吸わせてもらった。負け惜しみにしか聞こえないかもしれないが、本音でそう思う。優勝してない分、初年度から最後まで、はじからはじまで楽しませてもらった。(負け惜しみを通り越してもはや皮肉になっているが)ここまで鋼のメンタルにしてくれた大会に、感謝している。
初年度の私といえばどうだっただろうか、決勝にはいったがもちろん敗退している。向こう三年間は同じような結果になった、私は毎年やめたいと本気で思った。芸人も、人前に出ること自体にも心がボキッと折れたのだ。今思うと意味がわからない。他の大会だってあるし、そうでなくてもお笑いをやるための他のルートなんていくらでもあるのに。思い出すに結果と自分の価値が直結してしまっていたのだ。よほど自信がなかったのだろう、優勝しないと終わりだと焦っていた。ここで決めなきゃという意識に脳が支配されていたのだ。
あのときもあのときも優勝していなくて本当によかった、と思う。
優勝し番組を一周する間にネタなんて書かなくなり、生放送でお笑いの猛者たちに高い鼻を速攻でへし折られ、次の年の新しいチャンピオンに話題が変わったことに肩を落とし、まだ闇落ちしてた可能性だってある。
大会が終わると聞いたとき、優勝時に自分に飛んでくるクラッカーみたいな「パンッ!」という音と紙吹雪と、賞金の一千万がドンと入る高揚は味わってみたかったという思いは確かに強かった。
でも果たしてそれは本心だろうか? 大会がいくつもあるこの時代に女芸人のみの大会でしかそれが叶わないと感じてしまっているなら、いっそ芸人なんてやめてしまいたい。
この大会がないときは男女混合の大会の頂点を目指していたのだから、それは惰性ではないか、セミリタイアではないか、と至って冷静である。
誰に「残念」とか「ここまで優勝できなくてかわいそう」と同情されようが私は楽しかった。よく頑張った。一千万もらったっていいじゃないか、いや一千万じゃ少ないくらいだ。じゃあもう優勝したってことでいいんじゃない? 本当に欲しかったのはそういう自信みたいなものでしょう?と、自分に向けてクラッカーみたいなやつを「パンッ!」と鳴らしたい気分なのであった。
最後に
女性限定の大会を終えた自分への気持ちとかけまして
男女混合の大会に向けての意気込みと解きます。
その心はどちらも
そこに称賛(勝算)があるでしょう。
紺野ぶるま(こんのぶるま)
1986年9月30日生まれ。松竹芸能所属。著書に『下ネタ論』『「中退女子」の生き方 腐った蜜柑が芸人になった話』などがある。
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