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LIVING趣味

2021.07.14

背筋がゾクッと凍る芸術家の話【水曜夜はアートの話を】

美術を面白おかしく、わかりやすく解説する“アートテラー”として活躍するとに~さんによる連載。読者の皆さまからの質問も随時受け付けています!

シュザンヌ・ヴァラドンとエゴン・シーレ

〈左〉シュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938) 〈右〉エゴン・シーレ(1890-1918)

こんばんは。アートテラーのとに~です。先日訪れた三菱一号館美術館のミュージアムショップで、1万円超えの国産のビニール傘が販売されていました。「そんな高いビニール傘、誰が買うねん!」と思ったのですが、あまりにデザインが素晴らしく、数分後には購入している自分がいました。「これください」とお店のスタッフさんに言ったら、「え、本当ですか?」とビックリされました。もしかしたら、ショップの方も、「誰が買うねん!」と思っていたのかもしれません。

さて、暑い日が続きますね。こういうときには、背筋がゾクッとするような怖い話はいかがでしょう? 時代を超えて人を感動させる作品を残した芸術家のなかには、人間性に問題がある人物も少なくありません。例えば、日本を代表する美食家で陶芸家の北大路魯山人。彼はなんと離婚歴が5回もあります。しかも、『美味しんぼ』の美食俱楽部のモデルとなった高級料亭・星岡茶寮で、魯山人が料理長を務めていたときのこと、従業員の一人に心を奪われ、妻がいるにも関わらず、彼女の気を引くために、ほかの従業員の倍以上の給料を渡したというエピソードも伝わっています。食にも女性にも好奇心旺盛な人物だったのですね。また、旧10万リラ紙幣に肖像画デザインされていた、イタリアを代表する画家カラヴァッジョは、傷害や器物破損の罪で裁判沙汰に、はては殺人の罪で指名手配されたことも。

というわけで、本日は思わずゾッとする画家のエピソードをご紹介いたします。
ただし、彼ら彼女らのことは嫌いになっても、美術のことは嫌いにならないでください!

美術界No.1鬼母

シュザンヌ・ヴァラドン

ピエール=オーギュスト・ルノワール《シュザンヌ・ヴァラドン》 (c)Everett Collection/Shutterstock.com

ルノワールの代表作《都会のダンス》や《ブージヴァルのダンス》をはじめ、数々の名画のモデルを務めたシュザンヌ・ヴァラドン。モデルとして活躍する一方で、当時はまだ少数だった女流画家としても活動していました。その息子は、エコール・ド・パリを代表する画家モーリス・ユトリロ。しかし、いまだその父が誰なのかは明らかになっていません(ルノワールという説も)。

そんな恋に絵に忙しいシングルマザーのヴァラドン。息子をかまっている暇など当然ありません。それゆえ、ユトリロ少年は8歳のときにその寂しさから、ワインに溺れるようになってしまいます。子どもながらに1Lも酒を飲むという酒びたりな生活から、“リトリロ”と呼ばれたユトリロ。とうとう21歳でアル中になり、入院生活を余儀なくされます。その退院後に、医師に薦められたのが、絵画でした。気乗りしないまま始めたものの、あれよあれよと画家としての才能が開花していくのですが、それはまだ少し先の話。

モーリス・ユトリロ

シュザンヌ・ヴァラドンによるモーリス・ユトリロの肖像画

一方、ユトリロが入院しようがなんだろうが自由奔放な生活をしていた母・ヴァラドンは、ある日、アンドレ・ユッテルという男と恋に落ちます。そして、当時結婚していた夫と別れて、このユッテルと再婚し、息子ユトリロと3人での生活を始めます。実は、このユッテルという男は、何とユトリロの3コ下の友人。つまり、ユトリロは、自分より3コ下の友人が、いきなり継父になったわけです。

想像するにこれだけでも悲劇ですが、まだ序章に過ぎません。相変わらず、アル中の治療のため、絵の制作を続けていたユトリロは、その才能が広く認められ、いつしか絵が売れるようになっていました。これに目を付けたのが、母のヴァラドンと継父のユッテル。あろうことか、ユトリロを鉄格子のある部屋に閉じ込め、絵はがきを元に、パリの風景画を描かせては、その売れたお金で豪遊したのです。ユトリロに与えられたのは、安いワインだけ。ヴァラドンは息子のことを“貨幣製造機”と呼んでいたそうです。

なお、ユトリロはそんな生活がずーっと続きましたが、51歳でようやく結婚をします。ヴァラドンの呪縛も解け、これで自由になれたかと思いきや、妻となったリュシーも、またユトリロに死ぬまで絵を描かせ続けたとか。ユトリロの絵は涙なしには見られません。

ゲスの極みシーレ

シーレ

エゴン・シーレの自画像をデザインしたオーストリアの切手 (c)spatuletail/Shutterstock.com

20世紀初頭に活躍し、28歳で早逝したウィーンの異端の天才画家エゴン・シーレ。数多くのモデルと浮名を流すなど、スキャンダラスな逸話も多い人物です。

芸術家として頭角を表したのは、20歳のとき。美術アカデミーを退学後、画家仲間と「新芸術集団」を結成し、16歳の実の妹ゲルティがヌードモデルを務めた絵画で話題となります。その後、師であるクリムトから紹介されたと言われる17歳のモデル、ヴァリと同棲を開始。二人で母方の故郷であるチェコに移住するも、娼婦が多く家を出入りすることを理由に街を追われてしまいます。さらに、ウィーンに戻ってもやはり子どもを誘い込んで絵のモデルにしているとか、庭で女性モデルを裸にしてデッサンを描いたとか、良からぬ噂が立ち、再び近隣住民から追われるような形で街をあとにすることとなりました。さらに、シーレは22歳のときに、14歳の少女がシーレの家で一夜を明かしたと警察に告げたことで逮捕されてしまいます。

さてその2年後、シーレはそんな問題行動の多かった彼に献身的に尽くしたヴァリからあっさり鞍替えして、シーレに想いを寄せてきたご近所のお金持ちアデーレとエーディト姉妹のうちエーディトと結婚します。しかも、ヴァリとは完全に別れるのではなく、記念日を設けて、年に1回会おうという約束をしようとする始末。その仕打ちにショックを受け、ヴァリはシーレのもとを去りました(その後、ヴァリは従軍看護婦の訓練を受け、クロアチアに赴き、その地で23歳の若さで亡くなっています)。
ちなみに、シーレは義理の姉にあたるアデーレとも関係をもっていたそうです。

この一連のゲスいエピソードは、2017年に公開された『エゴン・シーレ 死と乙女』という映画で事細かに紹介されています。不倫に厳しい昨今の風潮もあり、さぞかしボロクソに叩かれているのだろうと思いきや…ネット上にあがっていたのは、

「エゴン・シーレ役のノア・サーベトラがイケメンだから嫌味がなかった♪」

という多数の賞賛の声でした。
けっ、「※ただしイケメンに限る」ってか!
これらの行動をイケメンだからと正当化する女性が一番怖いです。

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「デートにピッタリの美術館は?」「カフェがオススメの美術館って?」という具体的な質問から、「現代アートって、何が面白いの?」「何であんなに美術品って高いの?」「ピカソってすごいの?」という誰にも聞けなかった質問まで。
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TEXT=アートテラー・とに〜

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