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2026.02.26

不毛ルーティン【狗飼恭子】

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。【連載/愛の病】

なぜわたしは、毎朝同じことを行うのか 

山の上の冬は寒いので、毎朝眠りから覚めてまず目に入るのは自分の吐いた白い息だ。

たっぷりと重い布団をかけているから、寝ている間はそれほど寒さを感じない。布団から飛び出している顔と頭だけがものすごく冷えている。

上半身から少しづつゆるゆると動かして体に血を流して、それから頭ごと布団に潜り混む。布団の中にかまくらみたいな空間を作り、顔と耳を自分の息で温めるのだ。そうして心地よい暗闇の中で、ああ布団から出たくない、と思う。

それが毎朝一番最初にすること。

暗闇に飽きるまでじっとしてから、気持ちを鼓舞しどうにかこうにか体を起こす。

布団から出たらもちろんまず上着を羽織る。部屋の中はほとんど外の温度と同じだ。寝間着だけでは一秒で凍えてしまう。

次にカーテンを開ける。

夜の間についた霜で窓が白く凍っている。室内側の窓が凍っているということは部屋の中が氷点下であることの証左になってしまうが、あんまり考えないようにする。カーテンが凍って窓に張り付き、開けられない日もある。そういうときは太陽があがるまでそのままにしておく。一日中凍ったままのこともある。

震えながらなんとか寝室から居間へ移動して暖房器具の電源を入れる。部屋がむやみに広いので暖まるまで時間がかかる。その間に、朝のルーティンを行う。

 

まずは部屋着に着替える。寒い。一回服を脱がなきゃいけないのが辛い。

分厚い靴下を履く。

分厚いスリッパを履く。

お手洗いに行く。窓のない密室のため耐えられる温度。温便座がありがたい。

洗面所に行く。寒い。洗面所は窓が多い。そのすべての窓が凍っている。窓の外にはつららができている。

水道をひねる。井戸水なので異常に冷たい。洗面台の排水の溝からしゃりしゃりと夜のうちに薄く凍った水があがってくる。

歯を磨いたり髪を梳かしたり顔を洗ったり、軽い身支度をする。給湯機はあるが水がお湯になるのを待っていられない。この時点ですでに手がかじかんで感覚がない。

日焼け止めを塗る。感覚がない手で塗るのでたぶんちゃんとはできていない。

台所でお湯を沸かす。

居間に戻り暖房の前へ行く。沸かしたお湯を水で割り、ぬるま湯で漢方薬を飲む。不味い。

残ったお湯に梅干しを入れて飲む。美味い。

珈琲を飲む。ほっとする。

暖かい液体を三杯飲んで、ようやく少し体が温まる。

それからもう一度寒い洗面所へ行って、窓の霜取りをはじめる。電動の霜取り機があるなんて山の上に引っ越すまで知らなかった。

そのすべてを終えて、ようやく一日が始まる。

 

これがわたしのルーティンである。

お気づきの通りほとんどが辛いことである。辛さの理由はすべて寒さであるが。

なぜこんなにたくさん辛いことをしなければならないのかと毎朝思う。

そしてだんだん哲学の芽生えのような問いが浮かんでくる。

 

なぜわたしは、毎朝同じことをしなければならないのか?

 

やったことが積み重なってより良い朝の時間になるならば頑張りようがあるけれど、ルーティンはただのルーティンで、毎日毎朝同じ結果だ。

たとえば毎日投球練習をしたのなら、わたしは必ずボールを投げるのが上手くなるだろう。しかし毎日髪を梳かしたところで髪を梳かすことは上手くならない。上手くなったとてどうってことない。投球は上手くなったなら少しは良いこともあるだろうに。ならば髪を梳く時間を削って投球練習をしたほうがよほど人生が豊かになるのでは?

もちろん投球練習はしたくないし、上手くなるために髪を梳いているわけじゃないことは分かっている。

ただの問いである。

 

そういえばかつて、洗濯物を畳みながら絶望したことがある。

この今畳んだばかりの洋服は数日後には洗濯機に放り込まれ、また畳まれることになる。だとしたら、自分が今していることに何の意味があるのだろう。そう思った。

そして洗濯をしないで生きるための方法を考えた。

1、服を使い捨てる。

2、裸で生きる。

の二択しかなかった。1を選んだ場合それを「捨てに行く」というルーティンが生まれる。だから2しか選択できないが、それでは社会生活はままならない。

結局そういうことなのだ。

なぜわたしは、毎朝同じことを行うのか。その答え。

それはしなければならないわけではない。

でもする。基本的人権の範囲内で社会的に生きるために。

 

ではなぜ社会的に生きなければならないのか?

現代では経済なくして生きることはできないからだ。

 

では経済圏外で生きるのはどうしたらいいか?

 

この不毛なる思考もわたしの朝のルーティンだ。

結局分かるのは、朝のルーティンは不毛だということだけ。

でもこんな日々ももうあと少し。

春になれば、毎朝、カーテンを開けるたびに窓の外の景色に感動することになる。その感動はきちんと毎回違うもので、どうしてかルーティンにならない。

結局人は、春を待つ生き物だってだけなのかもしれない。

わたしはもうしばらく、寒さとルーティンにうんざりしながらもきちんと目を覚まし、冷たい水で顔を洗う。

春が来る、必ず来る、そう信じながら。

この記事は幻冬舎plusからの転載です。
連載:愛の病
狗飼恭子

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