E-girlsメンバーの山口乃々華さんが、瑞々しい感性で綴る連載エッセイ「ののペディア」。今、心に留まっているキーワードを、50音順にひもといていきます。
第41回「る」:ルート
とある日、わたしは突然思い立ち、次の日にはとても早起きをして、荷物をまとめて家を出た。そんな日は、目覚ましも必要なければ、何を着ようか迷うこともない。不思議とすべて決まっていたかのように、無駄なくわたしの脳と体は動いていた。
さて、このバスに乗れば、スムーズに目的地へ行けるはず。
そう思い乗り込んだのだが、おかしい、次は停まるはずのないバス停に停まるようだ。もしかして・・・と間違えに気がついたときには、もうすでに扉は閉まりかけていて、あっという間に発車してしまった。
あ、と思いつつ腰もあげられず、運転手さんに声もかけられず、そんなわたしは普通にこのバスを目的として乗っている人にしか見えないと思う。
計画していないことが起こるのが、旅だろう。
それにしても、こんなふうにとっさにタイミングを逃してしまうことがたまにある。どうにもこうにも固まって動けなくなる。ストッパーがかかるようなこの症状は、わたしの癖になりかけていて、困る。
そんなことを思っていたら、横に座っていたお姉さんが持っていたキャリーケースが、発車の勢いで、スーッと前に滑っていった。危ない!と思ったときには、手が届く場所どころかあれよあれよと前方の席まで転がっていってしまった。
幸い、このバスにはわたしとお姉さん、それと穏やかな運転をする運転手さんしか乗っていなかったので、誰にもぶつからずに済んだし、事故になることもなかった。しかし、ヒヤッとした。
運転手さんはこちらを確認している様子を見せながら、次の信号で止まった。お姉さんはさっと立ち上がり、キャリーケースを掴みに行った。また後方の席に戻ってくるかと思いきや、そのまま誰もいない前方の席に座った。
わたしは咄嗟に手も足も出ず、お姉さんの手助けができなかったことに、すみません、と心の中で謝った。そして、大きな事件にならなくてよかったなとホッとした。
うとうとと、少し眠ってしまって、目が覚めたらもう田舎町だった。
東京から少し離れれば、あっという間に田舎に出られる。今日は久しぶりに天気がいいこともあって、これまで雨に濡れっぱなしだったであろう木々たちが、生き生きとしているように見えた。枝はピーンと太陽に向かって背筋を伸ばし、紅や黄に衣替えした葉たちは、つやつやと光っていた。
バスに乗っていると、しかもどうやら各停のこのバスだと、とてもゆっくりと景色を見ることができた。途中、眠れたし、起きたら景色も綺麗だし、なんだかんだ間違えてよかったのかもしれない。
何分後かに、もし、早く降りておくべきだったと思うようなことが起きたとしても、もういい。
今がすごく心地良いから、いいのだ。
ここにいるのは、わたしとお姉さんと運転手さんの3人だけ。エンジンと風のゴーゴーと鳴る音だけが柔らかく響いていて、イヤホンを耳に挿すことさえ忘れていられる時間は、幸せだ。
外を見ながら、その空気を感じながらわたしは思う。都会にいれば田舎が恋しくなり、田舎にいれば早く都会に出たいと思うなんて、わがままな気持ちだなと。
この自然に対する感動だって、そう長くは続かない。慣れてしまうだろう。感情は、あっという間に鮮度を失う。だからこそ、思い切り感じておく。その新鮮な気持ちを吸うことこそが、今のわたしには必要なことだったのかもしれない。
さて、遠回りをしながら、目的地にはついた。お姉さんはいつのまにかバスを降りていた。特別仲良くなることはなかった。運転手さんと親しく言葉を掛け合うことも、特になかった。
みんなそれぞれの時間を、なんてことなく生きていた。
早足にわたしも歩き出す。待ってましたと言わんばかりの夕陽が目の前に見えて、本当に綺麗だった。
東京よりもはるかに広い空が赤く染まるのを見ながら、わたしは宿への坂を登って行った。
・・・
こう、何かに向かっているとき、つい人生と重ねてしまう。
道はひとつではない。
今まで以上のエンジンを自分の中にかけなければ乗り越えられないものもあれば、すんなり進めることもある。
自分のいる場所を見つめて、心が楽になるときと、そうじゃなくて焦るときもある。そのときどきで考えは180度変わってしまう。わたしって、そんなものなのだ。
状況、心境、タイミングに影響されている。でも、それでいいとも思っている。目的地が変わっていないのであれば、進み方はいくらでも柔軟な方がいい。
毎日を少し窮屈に感じたら、寄り道や周り道をして力を抜いて、なんてことのない出来事をしっかり「なんてことのないこと」だと思えるような、余裕を取り戻していきたい。
どう頑張ったって、他の誰かになれることもなければ、何もしないで素晴らしい人になれるわけでもないのだから。
今を楽しく、今を一生懸命、大切に。
今のわたしを認めて、進むのみ。
たとえ遠回りをしても、今回の旅のように結果よかったなぁと、いつだって思えるだろう。
【ののペディア/ルート】
何でもあり、ただ進むのみ。