アラサーの読者にとって、米倉涼子さんは”頼りになる年上のお姉さん”的存在。美しく活躍するその背中を見ていると、40代になるのがなんだか楽しみになってくる。何を考え、どのように壁を乗り越えてきたのか。その軌跡には、たくさんの勇気あるアクションがあふれていました!
迷路のなかをさまよっている、20代はそんな時間だった
もともと女性誌のモデルでキャリアをスタートさせた米倉さんが、女優の世界に足を踏み出したのが24歳のとき。
「ほかのモデルさんと一緒に撮影をすると私だけポーズがヘタだし、私を見て!みたいな気持ちを持つのも難しく、続ければ続けるほど、私はモデルには向いてないという思いが・・・。その頃あるカメラマンさんに、『モデルも芝居の一種』と言われ、同じ芝居なら、思ったようにしゃべったり動いたりできるほうが私らしくできるかも、と思って。女優をやりたいと当時の事務所に直訴したんです」
とはいえ、その決断を下すまでは迷路のなかをさまよっていたようで・・・。
「ご存知の方もいると思うんですが、私は学生時代いじめられていた経験があって。性格は暗いし、内に閉じこもるタイプだった。話すときもひと言めに『すいません』なんて言っちゃって、そういう自分に嫌気が差してまた根腐れする・・・みたいな(笑)。辟易していた頃、『迷路の出口を見つける気がないなら、そもそも考えるのをやめたらいいんじゃない?』と年上の人に言われたんです。そのひと言で何かが吹っ切れて、“あぁもう考えるのやめよう、考える前に動こう!”って、思えるようになりました」
米倉さんほどの華のある人なら、恐れなく女優に転身できたのかと思いきや・・・。
「まさか! 新しい道に進むのは誰だって怖いし緊張しますよ。しかも私、“女優宣言”みたいな記者会見で、激しいフラッシュのせいで服が透け、下着が丸見えになった写真が世の中に出たことでバッキバキに心が折れまして(笑)。でも同時に、大きな決断をしたのにこんなことで負けたらもったいない、とも。絶対負けない、3年で主役を演じる!って心に誓いました」
自分の弱さと戦いながら、活かせる場所を見つけて
その言葉は現実となり、宣言から3年後の2002年にドラマで初主演。その後の活躍は周知のとおり。
「でも今思うと、当時の私はまだまだ性格が女々しかった(笑)。30歳くらいまでは弱さを見せたくなくて、すごく強がってた。この間、ある番組でそのころの自分のVTRを見たんですが、まあ人当たりがキツかった(笑)。申し訳なかったな・・・と思いながら見ていました」
米倉さんにとって大きな飛躍になったのが、2004年に主演したドラマ「黒革の手帖」。
「私にとってはすべての作品が転機ではあるのですが、これをやったことで、“米倉涼子”に向けられる目が変わった、とは思いました。“悪女”という場所に私の需要があったというのも、発見でしたね」
代表作である「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」は、「黒革の手帖」からつながるチームで作っているのだとか。
「同じ役を長く続けたいわけではないのですが、これに関しては、スタッフも共演者も含めてもう家族みたいな感じで、大好きゆえに離れられない(笑)。大門未知子の”一匹狼”なところもお気に入りだし。あとは、勝村政信さんが『ドクターY』っていうスピンオフをやられていて彼がやる限りは私も負けられない!とついやる気が出てきてしまう(笑)」
葛藤と挑戦を続けて得た今のポジション。それに甘んじることなく、さらなる飛躍を目指して前を向き走り続ける、米倉涼子さん。彼女のパワーに刺激を受けて、私達も高みを目指していきましょう!
米倉涼子(よねくらりょうこ)
1975年8月1日生まれ、神奈川県出身。1995年にモデルデビューし、その後女優に。ドラマや舞台などで活躍。この秋は「ドクターX」のスピンオフドラマ「ドクターY~外科医・加地秀樹~」(テレビ朝日)に出演予定。