女芸人 紺野ぶるまさんによる女観察エッセイ「奥歯に女が詰まってる」。GINGER世代のぶるまさんが、独自の視点で、世の女たちの生き様を観察します。
第12回 抱けるブスを自称する女
仲の良い女友達が昔、こんなことを言っていた。
「わたし自分がかわいくないってわかってる。だけどちゃんと抱けるブスを志してるの」
と。そして、
「好きなタイプってないんだよね。私を好きになってくれる人ならいいって思ってる」と続けた。
ほとんどメイクをせず、常にメガネの彼女。
まったく着飾らず、香水などもつけなかった。
その理由を尋ねると、
「悪あがきはしない主義だから」らしい。
そんな彼女が心がけてることがひとつ。
「肌のケア」だった。
デパコスの基礎化粧品とファンデーションを使い、初対面の人には必ずスキンケアの方法を聞かれるほどキレイなのだ。
「抱いてくれる人に失礼のないようにせめて肌だけでも」
と言い、その菩薩のような笑顔に
以前訪れたお寺を思い出した。
そこの住職は言った。
「私達は朝から晩まで掃除をします。ここにいつ誰がきてもいいように。それが私達の仕事です」と。
塵ひとつ許さず、床は隅の隅まで光が反射するほどで、建物の歴史や素朴さがより美しく見えた。
ありのままを伝えるとは得てしてそういうことなのだ。
寺というのは、告知や宣伝などはもちろん打たない。
ただそこに佇み、参拝にきた人を必ず受け入れる。
感謝し尊重し、その人に打算があったとしても決して咎めない。
だから人は、またここに来ようと思うのだろう。
わたしは彼女のことも心の中で‟住職”と呼ぶことにした。
その後、住職のところに、
職場で出会った年下の男性が参拝に訪れ(デートのお誘いをされ)、坐禅を組み(♡)、彼女は今や主婦であり、二児の母だ。
「時間がなくて何もしてない」
という肌は不思議と以前に増してキレイになった。
最後に
志とかけまして
お掃除と解きます。
その心は
どちらも、そこに誇り(埃)があるでしょう。
今日も女たちに幸せが訪れますように。